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「どう思う?」って訊かれたので、NIKKEIに出てる藤代裕之氏の'マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか'を読んでの感想を。

要約すると、インターネット(以下ネット)と新聞を対比しての新聞批判。
それが、現在の日本の"新聞(形態?報道?)"に対する批判なんか、新聞に代表されるような"既存メディア"を指してるんか、いまいちよくわからへんけど、藤代氏としては、今後のジャーナリズムの発展の仕方として、今の新聞ではあかん、ネット上で起こってることにその可能性がある、と。

'ジャーナリズム'っていう、信条とか規範とか、そういう、概念的なものを考えるときに、ネット対新聞っていう、媒体同士の対比が有効かっていうとそうではないし、むしろ、もっと重要なところを見落としがちであぶない気もする。

基本的に、技術が人間社会のあり方を決めることはない。今更やけど。。。
昔から、テレビの普及や、衛星放送やケーブル・テレビの出現により、社会に変化が起こる!っていう、技術信仰みたいな考え方(technological determinism)があって、同じようなことがネットの普及当時にも言われてた。市民記者とか、そういう感覚よな。

でも、技術の発展で物理的に可能になることはあっても、それで社会がどう変わるか、もしくは変らへんかっていうのは、それを使う側の思惑と、使わせられるようにする側の思惑が、もっと重要な影響力を持ってる。新しい技術の普及と社会変化が一致するとすれば、それは、その技術を使って誰かが何かやったっていうよりも、それを使った人にそもそも社会に影響を及ぼすだけの力があった、もしくは、その変化と社会的権力保持者との利害の一致があり、だからその技術が使われた、ってことやと思う。

で、ネット上の議論の数とか、反応の速さ・多さでもって、ネットの方が活発な議論がされてるってなるのも、「ん?」って思う。そもそも、ネット利用者数とか、それをどう使ってるかの内訳数の出し方とか、数字だけで見たら大きかっても、それと、メディアの責任の一部とされてる'一般市民の議論の場の形成を可能にする'っていうのを考えたら、な~んか腑に落ちひんよ???ってことが多いやん。

昔聞いたネット利用者数の統計があって。2003年とか2004年とか、その辺に、USCが出したデータ。その当時でも、日本のネット利用者数は、確か、総人口の6割前後あったんよね。そっから考えたら、今ではもっと増えてるとも思うけど、でも、その統計の出し方を訊いたら、携帯電話でだけネットを使ってる人も入ってる、と。他にも、各国政府が出す資料にあるような、各地域ごとに出す全国ネット普及状況とかでは、町の役所や図書館に1台でもネットに接続されてるコンピューターがあれば、その地域は○っていう出し方やったり。そういうのがあるから、ネット上で社会問題に対して議論してる人の総数っていうのは、ぶっちゃけ、めっちゃ少ない気がすんのよね。どんだけネットが普及しようが、それを使って社会問題を議論する人っていうのは、もともとそれに関心があって他でもそういう話をしてるやろうしね。

ほんなら、'ネット・ジャーナリズム'とでも呼ぶような、ネット上にはあって他にはないジャーナリズムがあるんかっていうと、そんなわけはない。'ジャーナリズム'を定義してるのは、それをやってる人間と組織でしかない。

ネットの普及で一般市民の議論の場が広がるって話の中に、不特定多数の人に対して誰でも情報を発信できるようになるっていうのがある。それが意見であれ、純粋な意味での情報(事実関係とか)であれ、そういう'発信行為'を誰でも出来るようになった現在、そのためにメディア関係者である必要はない。ネット出現前やったら、例えば新聞社や出版社、テレビ会社やラジオ会社っていう、どっかに就職するか、あるいは、フリーランスっていう、それで生計を立ててる人やないとできひんかったことが、全然関係ない仕事をしてても、寝る前のちょっとの時間にブログを書いたりすることでできるようになった。それはわかる。

でも、実際に、そういう風にネットをやってる個人発信の情報で、そないにでかいものがあるかっていうと、そうはならへん。ネット上で起こってることの大半は意見交換であって、報道やない。ネット発情報(報道)でそれなりにでかいのを出せる人は、フリーランス・ジャーナリストやったり、どっかの大手企業のサイトからの発信手段を持ってたり、元々の個人としての知名度があったりとか、そういう、単なるネット上の個人ってだけ以上のなんかを持ってる場合やし。

それと、これは、フリーランス・ジャーナリストの増加でも問題になってるけど、報道、特に調査報道っていう点からいうと、その質を保つためには、企業、できれば(お金持ちの)大手企業に就職してるっていう会社員ジャーナリストっていう身分は、必要なものでもある(IFJからの話とか)。ジャーナリストも生活費は稼がなあかんし、日本で言えば、弁護士の増加による大手企業からの訴訟乱発も心配されてる。かと云って、会社員ジャーナリストが、そういった危険から護られてるかっていうと、そうでもないんやけどさ。ってか、大企業ほど、記者さん個人の感覚だけでは動きにくいやろうし。

報道に関して、もひとつ良く出る話に、'視点'の話がある。一般市民(=読者・視聴者)の声を報道内容に反映できるてるかどうかってところにいくんやろうけど、これをネットかそれ以外(テレビ・新聞・ラジオ)で働くジャーナリストで分けることに意味はない。ってことで、純粋な意味での個人発信の報道か、所謂既存メディアのジャーナリストとして働く人から発信の報道かに分けて考えることができるかっていうと、これも意味がない。やってる人間の視点がどこに置かれてるかっていうだけの問題やし、どこまで想像力を広げて声を拾えるかっていう、ジャーナリスト個人の資質の問題やん。

ただ、この点に関して云えば、既存メディアの組織の肥大化・老朽化は問題になると思う。例えば、個人が好きに書けるブログと、会社の方針がある企業メディアからの発言とを比べたら、やっぱり、前者の方が自由に書けるし、見せ方としても、'個人=市民側'を強調することができる。あと、例えばアルジャジーラ・イングリッシュのような、できてまだ年数の経ってない若いところの人たちの話を聞くと、風通しが良いっていうかなんていうか、個人の意見をより反映をしやすいっていうのは感じる。市民っていうか、一般大衆からより多くの声を拾うっていうよりも、今までやってなかったことも始めやすいっていう感じやけど。組織がでかくなればなるほど、その内部での保身や立ち回りが起こって、その影響が製品(番組・記事)に出てくるし。そうこうしてるうちに、やる気いっぱいで入社した人も、現実を見てしまって、ちゃうとこに行ってしまったりする。何も、メディア企業に限った話やないけどさ。

それに、'権力の監視'っていう役割は、ネットであれ新聞であれなんであれ、メディアである以上、維持せなあかん仕事のひとつ。っていうか、メディアの人がやらんでどうすんの?

単純に、'権力の監視'は必要やし、社会の中にそういう機能を持ったものがないと怖い。現時点でそれができてる完璧なものがあるわけではないし、メディアそのものが権力監視をできる機関なわけではないし、メディアにしかできひんことでもないし、メディア以外も含めた社会そのものがそういう目を持たなあかんねんけど。それでも、そういうことに関心を持って、調べて、公にするっていう活動を、生活の大部分の時間を使ってできるのは、それをやるためにお金を払われて生活が保障されてる人でないと難しい。メディアからの報道がなかったらみんなが知らへんまんまっていうことはいっぱいあって、知ることがなかったら議論も起きひんし、その先にある変化も起きひん。青臭いと言われようがなんだろうが、メディアがそれに及び腰になったらあかんのは大前提で、藤代氏の話にあるような権力側か市民側(個人の責任?)か、どちらを批判するかは、問題の論点を掲示するときに出る問題であって、ジャーナリズムとして決めてかかるものではないと思う。ってか、'バッシング'と報道・批判は別物やし。

あと、↑のフリーランスの話に戻るけど、新聞社への広告収入減少えとせとらによるジャーナリズムの弱体化っていう見方もある(例えばこういうの)。今迄の高収入が減ってきて慌ててるだけとも取れる話やけど、要は、紙がどうやネットがどうやっていう話やなくて、どうやったら、ちゃんとしたジャーナリズムが維持・発展されられるかどうか、どういうのが必要か、っていう話をせんと。

国際化と情報化が進んで国民国家という枠組みを崩すっていうのも、ナショナリズムとか民族主義ってことでいうと、むしろ強化されてると思う点もあるんやけど、そういう話はまた今度。

関連:
藤代裕之, 26th Oct. 2007, 'マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか', Japan: NIKKEI NET IT+PLUS. (Available at http://it.nikkei.co.jp/internet/column/gatoh.aspx?n=MMIT11000025102007. Last accessed on 8th Nov. 2007.)
NIKKEI NET IT+PLUS: http://it.nikkei.co.jp/
ガ島流ネット社会学: http://it.nikkei.co.jp/internet/column/gatoh.aspx

参考:
Internet Project
USC Annenberg School Center for the Digital Future
The University of Southern California
http://www.digitalcenter.org/

Ponsford, Dominic, 2nd Nov. 2007, David Leigh: Web could spell the end of the reporter, UK: Press Gazette. (Available at http://www.pressgazette.co.uk/story.asp?sectioncode=1&storycode=39340. Last accessed on 8th Nov. 2007.)
Press Gazette.co.uk: http://www.pressgazette.co.uk/

【AJE】フリーランス・ジャーナリスト

YUKI
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2007.11.09 Fri l メディアの考察 l COM(0) TB(0) l top ▲

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